追悼 ジェフベック

初めてジェフベックというギタリストの存在を知ったのは、バスと電車を乗り継いで行った先にある商店街の楽器店で、長髪のお兄さんに選んでもらったストラトタイプのエレキギターとアンプ、ストラップや音叉などとのセットと一緒に買った、「小林克己のロックギター教室 初級編」という、黒い装丁の教本に、応用曲集として載っていた「Blue Wind」だった。それは中学2年生のとき。

その教本には、譜例などを演奏して収録したカセットテープが用意されていて、ただしそれは別売りで、ギターとアンプと教本だけで予算に到達してしまった僕は、そのカセットテープは買わなかった。いや、買えなかった。だから、存在を知ったとは言っても、知ったのは名前と Blue Wind という曲名だけで、実際には見たことも聞いたこともなかった。

当時、僕の周りにはハードロック系の洋楽を聞く人はまったくおらず、情報源もなく、もちろんジェフベックという人の存在も知らず、当然ながら、Blue Wind と一緒に載っていた Highway Star や、Smoke on The Water、White Room なども全く知らない状態で、ただし、ラジオで耳にしたハードロックと言うよりは、もう少しポピュラー寄りの TOTO や REO スピードワゴン、ロッド・スチュワートなどは LP レコードを買って聞いていた(ような気がする)。

そんな中、聞いたこともない曲のタブ譜を、教本で学んだつもりになっている基本テクニックを駆使し、応用曲集を見ながら、「これで合っているのか」と疑問を呈しながら基本テクニックを応用する日々を送っていた。

ちなみに、買ったアンプは全く歪まず、エフェクターも当然ながら買えなかったので、クリーンサウンドで弾いていたのだが、「上手くなったら歪んだ音が出る」と思っていた。なんとなく。

高校に入ってそんな状況は一変する。新しく出来た友人に、洋楽、とくにハードロック系に詳しいやつがいた。それも複数。そのうちの一人には洋楽好きの兄貴がいて、そこからやってくる情報量は半端でなく、見るのも聞くのもすべてが新鮮で衝撃だった。それらの友人たちの一人が、応用したいのに思い通りに応用出来ない僕の話を聞いて、ディープ・パープルのマシンヘッドを貸してくれた。家に帰って針を落とすと、自分が応用していたつもりだったハイウェイスターが原曲と全く違っていて、少し泣いた。そしてまた別の友人宅には、ゲインとマスターボリューム付きのYAMAHAのトランジスタアンプがあって、ゲインを上げると歪みだすという現実を知って、これまた少し泣いた。

そんな友人たちから情報を得ながら、「なんかソロでアルバム出しててかっこいい」と思って「Wired」を買ったのが、正式なジェフベックとの出会い。応用していたつもりの僕の Blue Wind は、ほとんど応用できていなかったが、アルバムは、初っ端の Led Boots のイントロで全身がしびれて以降、擦り切れるほど聴いた。

その後、ジェフ・ベック・グループや BB&A など、過去を遡って何枚かは買ったり借りたりして聴いたが、聴く音楽の傾向が変わってしまい、ロックギターとは少し距離を置いてしまった。

ずいぶんと大人になってからまたギターを引っ張り出し、やはり僕のギターの原点はジェフベックだ、と理由をつけてジェフベックモデルのギターを買ったり、来日すると何度か見に行ったりしたのはまだ記憶に新しい。

ジェフベックの訃報、相当にショックだ。いわゆる「3大ギタリスト」が鬼籍に入る時代が来るのはわかっていたが、そう簡単には受け入れられない。もう今日は仕事にならない。帰ったら僕のジェフベックモデルをケースから出して弾こう、Blue Wind を。あまり応用できてないけれど。

数多のギタリストに多大なる影響を与え、生涯現役だった Jeff Beck。安らかに。

僕のジェフベックモデル


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