オジーが逝った。
2025年7月5日に開催された、オジーの音楽活動の集大成である、さよならライブ(Back to the Beginning)の記事を読んだり、YouTubeで断片的に観たときの感想は、「壮大な生前葬やなあ」だった。
それからたったの17日後に逝った。本当にそれは生前葬だったのだ、と改めて感じた。
オジーの存在を最初に知ったのは、高校一年生か二年生のとき。
学校から演劇かなにかを全員で観に行ったときに、どうせ面白くないから、と友人がウォークマン(的なもの)を持参しており、その中に入っていたのが、「悪魔の囁き」(Speak of the Devil)を録音したカセットテープだった。
「聞いてみ」
「全部一緒に聞こえるやろ」
その頃の僕は、TOTO とか、ロッド・スチュワートとか、REOスピードワゴンとか、そんな音楽を聞いており、ハードロック系には全く触れいていなかった。オジーはおろか、ブラック・サバスも知らなかった。
そんな僕の音楽的嗜好を知ってか知らずか、僕が「悪魔の囁き」を聴いた感想を、その友人は僕より先に口にした。
数日後、その友人は「悪魔の囁き」のレコードを貸してくれた。
「これ見てみ」
そう言いながら半笑いでLPレードを袋から出し、僕に差し出した。
「強烈やろ」
僕は度肝を抜かれた。このような世界、ジャンルがこの世に存在するのか、こんな人が、どれを聴いても区別のつかない(当時の僕の場合)、圧倒的な音圧が延々と続くあのような音楽を演っているのか。そもそも、口の中から溢れ出ているアレはなんだ?このような世界に足を踏み入れてもいいのか、大丈夫なのか?
ほんの数秒のうちに色々な考えが脳裏を駆け巡った。
家に帰って僕は、カセットテープに録音し、繰り返し聴いた。ギターは強烈で、音がヒラヒラするところなんて、なにをどうやってるのか想像すらできなかった。
その後、また同じ友人から、「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説」「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン」を借りて、そのあとの「月に吠える」からは自分でLPレコードを買い、ランディ・ローズ時代の2枚も買い、ブラック・サバスのレコードも、遡って買ったり借りたりもした。そんな僕は、完全にすべての曲を判別できるようになっていた。
その後、いろんなジャンルの音楽に食指が伸び、ハードロック系はあまり聴かなくなった。特にメタル系においては、「なんとかメタル」というふうに色々と派生して細分化していってからは、ほぼ聴かなくなった。そもそも僕は、数年ごとに色々と趣味が変わる、そんな質だった。
そのうち僕は、またハードロック系、メタル系を聴くようになり、オジーやブラック・サバスもまた貪るように聴いた。2013年のオズフェストも見に行った。生でオジーを見たのは、あとにも先にもそれ一回切りだった。
OZZFEST Japan 2013 に行ってきた – guitars.grrr
新しいギタリストを発掘するのが得意なオジー、なんとかいう公園でオシッコして出禁になったオジー、コウモリやらなんやらの逸話たっぷりのオジー、最後に壮大なイベントを開催したオジー、新しいアルバムを予約したレコード屋で買って帰って針を落とした瞬間の、脳天から痺れる感じが忘れられない、そんな最高の瞬間を提供してくれたオジー、どうか安らかに。ランディ・ローズと会えてたらいいな。